特例法改正論議について、当事者として外してほしくないポイント

2024年8月10日
性同一性障害特例法を守る会 美山 みどり

 昨年の最高裁判決によって、性同一性障害特例法の不妊要件の違憲判断が出たことによって、特例法の改正論議が始まりつつあります。私たちは当事者としての立場から、この議論自体にいくつかの注文を付けたいと思っております。私たちがまさにこの特例法の当事者であり、私たちの声を無視したいかなる改正も望みません。

 しかし、当事者の間での特例法に対する意見はさまざまです。また性同一性障害と戸籍性別の変更の間には、人権や法律では解決しない重大な問題もいろいろと存在します。単に法律を改正すれば問題が解決する、という単純な話ではないのです。

 手術要件は実のところ、さまざまな問題をうまく収める非常に有効な規定だったのです。しかし、これに一部違憲の判断を出してしまった以上、この問題がかかえる多方面の複雑な関連について、ひとつひとつ丁寧に意思決定をしていかなくてはなりません。非常にややこしい局面にさしかかってしまった、ということを、まずご認識ください。

まず、法務省は戸籍変更済当事者の意見を全数調査せよ

 実際、特例法に関する当事者の意見さえも割れています。もちろんこの「当事者」という言葉は本来、手術を自ら望み戸籍を変える性同一性障害当事者のことなのです。にもかかわらず、意外なことに戸籍変更済の当事者がどのような意見が大勢であるか、という事実すらまったく不明なのです。
せっかく作った法律が役に立っているのかどうか、の客観的な情報収集と評価がなされていないのに、さらに法律を改正しようとしているのです。こんなマネジメントが果たしてあるのでしょうか?

 まずは戸籍変更済の当事者が今どうしているか、幸せか後悔しているか、戸籍を変えたいからしたくないのに手術を受けたのかそうでないのか、などなどの実態調査を最優先ですべきなのです。
 戸籍変更事務と審判をする家庭裁判所を所轄する法務省が腰を上げるならば、すでに戸籍変更をした当事者の全数調査を行い、受益者である当事者の声を正確に調査することが可能なはずです。これが法律に責任を持つということであり、戸籍性別変更済の当事者の総数はたかが1万数千人しかいないのです。法務省が調査するのならば、簡単なことであるはずです。

 まず、戸籍変更済の当事者の声と要望という基礎的な事実を調査収集しましょう。私たちは、法務省が主導する全数調査を議論の前提として要求します。

「性同一性障害当事者」とは何なのか、しっかり実態調査して社会的合意を形成せよ

 それから「今まで手術要件があるから、戸籍変更しなかった」と主張する人たちの意見に耳を傾けましょう。その範囲となるのは、医師から性同一性障害の診断を受けた人々、ということになります。
 しかし、現在では一日診断と呼ばれる「性同一性障害の診断書を販売」するかのようなモラルを欠いた行為が蔓延しています。ですので、ただ「診断書が出ている」というだけのことではなく、そのような人々が、どのような生活をして、どのような医療を受け、そのような主張をしているのか、というそれぞれの類型に応じた具体的なタイプ分けが必要となるでしょう。

 つまり、漠然とした「トランスジェンダー」ではなく、この特例法改正問題についての「当事者」の範囲を確定する必要があるのです。

 「当事者」がどんな人々であるのか、どの範囲の人が「当事者」なのか、それをしっかりと確定しなければ、どんな議論も不可能です。
たとえば「ジェンダーにとらわれない生き方をしたい」人が「トランスジェンダー」を名乗るのならば、そういう人が「手術も医療も求めない」のは当然です。しかし、そのような人は、今回の議論の「当事者」から外れることは、当たり前のことでしょう。そんな方でも「性別に対する違和感」を訴えれば、今では簡単に「性同一性障害」の診断書を取ることができるのです。
 「診断書があるから」ではなく、しっかりとした実態調査を踏まえた上での意見集約を行い、「この範囲の人の主張までは、当事者として世論は受け入れる」と問題をしっかりと切り分けて議論を行うべきです。

 もっとも過激な人々は「自分が女だと思えば女なんだ、医師の診断も裁判所の手続きも不要にして、ただ本人が申請すれば戸籍性別を変更することができるようにすべきだ」と「性自認」に基づくいわゆる「セルフID」を主張します。このような人たちはどのような生活をしているのでしょう。またこの議論における「当事者」としての資格が本当にあるのでしょうか。これを見極めるためにはしっかりとした「実態調査」が必要であり、この調査事実に基づいて、「トランスジェンダー」「性同一性障害当事者」がどのような人々であり、どうすれば問題解決につながるのかを事実ベースで議論すべきです。

法改正論議よりも、ジェンダー医療専門医の意見統一と診断・医療の体制づくりを優先せよ


 この「当事者」についての調査は、もちろんジェンダーに関する専門医療の協力なしには不可能なことです。また、とくに性同一性障害は、同性愛などの他の性的少数者とは異なり、手術などの医療を求めることに特徴があります。性器手術はもちろんですが、手術でも脱胸手術、あるいは声帯手術、美容整形、豊胸手術など、私たちが抱える問題は医療と不可分でもあります。さまざまな副作用があり、医師による健康管理が必須の性ホルモンの投与も私たちには必要不可欠です。
 性同一性障害は医療と切っても切れない関係にあるのです。

 ですので、これは「法律がこうなったから」で法律の世界で完結する問題ではないのです。「ジェンダー医療が現在提供できること」によって、事実上「法律にできること」は束縛されることになるのです。

 しかし、現在専門医の団体であるはずの日本GI学会(旧GID学会)でも、しっかりとした意見の統一がなされているわけでもないのです。専門医の間での意見の統一を通じて、診断基準の確定と、その診断の運用体制の構築、そして標準的なケアのガイドラインの策定など、特例法の改正に先立って行っておかなければならないことが、まだ全くと言っていいほどになされていないのです。

 もちろんこれを急ぐことは必要ですが、先走って法律を検討するのは意味のないことです。今までは「性器手術をしたという事実」の重みによって、診断のウェイトはそこまで高くはありませんでしたし、家庭裁判所も「手術しているから」で主張を信用して戸籍変更を認めてきたという側面もあります。しかし、この前提を最高裁判決は崩してしまったのです。議論をすべて新しくやり直す必要が出てしまったのです。

  • 戸籍変更のための診断ができる医師を定める資格は、どんなものにするのか
  • 手術なしでの戸籍変更を認めるのならば、そのための診断基準はどうなるのか
  • 医療ケアが必須ならば、どこまでの医療ケアを戸籍変更のために求めるのか
  • どこまで「外観が異性の性器に近づいていれば」認めるのか、機能はどうなれば不可逆と言えるのか、その基準はどうなのか
  • 家裁での審判で求められる証拠はどうなるのか。性器の写真などが証拠として求められるのか
  • 家裁での審判の場面で、裁判官は医師の診断とその証拠について疑義を述べて職権で却下することができるのか

などなどの、デテールについて専門家の間でもまだ議論が始まったばかりなのです。これらの医療と法の複雑に絡み合った問題について、専門家の間での合意ができなければ、法改正の議論のとば口にさえ到達できないのです。

現在の混乱を収めるために

 このように、現在は何の体制もできていません。しかし、最高裁が不妊要件の違憲判決をし、差戻審の広島高裁が未手術のMtF(男→女)の男性器が「外観上問題ない」という判断をして戸籍変更をしてしまったために、困難な局面に遭遇しています。
 ですので、現在の状況をとりあえず切り抜けるために、次のような提言をします。

  • 未手術のMtF(男→女)については、広島高裁でも具体的な外観基準が示されていないのだから、医学的根拠を備えた基準が専門医によって明確化されるまでは、家庭裁判所では戸籍性別変更の決定を行わないこと
  • 未手術のFtM(女→男)戸籍性別変更を行う場合には、家庭裁判所は診断書を下した複数の医師が学会で認められた専門医であることを確認するのと同時に、現在の治療についての客観的で明確な証拠の提示を要求すること
  • 家庭裁判所の戸籍性別変更の審判では、診断書があろうとも裁判官に疑義がある場合には、申立てを認めない判断をすべきことを、法務省は通達せよ
  • 性犯罪歴・暴力犯罪歴のある申立人の戸籍性別変更は、却下すべきであることを、法務省は通達せよ。未手術ならばなおさら必然的に却下すべきである
  • いわゆる「一日診断」によって得られた性同一性障害の診断書は医学上無効であり、裁判所では一切その効力を認めるべきでないことを法務省は通達せよ
  • 「一日診断」を下した医師について、とくに医事法違反・有印私文書偽造による摘発を行うこと
  • 早急に専門医団体は、性同一性障害についての新しい専門医資格制度を提案し、議会でそれを法制化すること
  • 女性スペース・女子スポーツについては、戸籍やパスポートに記載された性別ではなく、現実的な肉体的基準によって判断されるべしとする通達を関係省庁が出し、新しくその旨を明文化した女性スペース・女子スポーツに関する法律を、特例法改正論議とは切り離して優先して成立させること

中途半端な司法判断は残念なことに最悪の混乱を招きつつあるのです。この害悪はなんとしても食い止めなくてはなりません。

「脱医療化」ではなくジェンダー医療の充実を

 繰り返しますが、私たち性同一性障害当事者にとって医療を求めることが、私たちの死活的な利害なのです。これは一部の人権活動家が主張する「脱医療化」「セルフID」によっては絶対に達成されないものです。そのような過激で政治的な主張によって、医療を求める私たちの声がかき消され、「当事者に寄り添った」という美名のもとに、いい加減でエビデンスを欠いた医療を横行する未来が訪れてしまうのです。これを私たちは危惧しているのです。

 「脱医療化」を主導したWPATH(世界トランスジェンダー健康専門家協会)は、今年3月の内部ファイル流出事件によって、エビデンスを軽視したイデオロギー的な医療に堕落していたことが明らかになりました。私たち当事者が求めるものは、「人権重視」のイデオロギーではありません。真剣で誠実な、エビデンスに即した医療なのです。

 法律や裁判所が、エビデンスに即した医療を阻害するような結果をもたらしてはなりません。私たちにとって真面目な医療とその社会的なサポートは不可欠なのです。

 そして私たちが社会と共存し、社会の一員として平穏に暮らすためには、社会的なルールの再確認と、相互に義務を果たすことと、相互の権利を尊重することが必須なのです。
 最高裁の判断は、その意図に反して社会の対立を煽り、当事者への偏見を強めただけだった….誰もこんな世界にしたくないはずです。
 そのためには、社会的な合意を構築すべく「誰もが当事者である」という意識のもとに、合理的な線引きを含めて新しい社会ルールを再構築し、それを保証する医療を含む社会的サポート体制を充実させていきましょう。

 繰り返しますが、このような議論には時間がかかります。
 拙速な結論だけは、厳に慎むようにお願いいたします。

以上

PDF 20240810_tokureihou-kaisei-giron.pdf