当事者の手記(その1)美山みどり

特例法ができた40歳からの移行でしたけども、自分の性別移行は本当にすんなり進んで、今60歳過ぎたところですが、気楽に過ごすことができています。ありがたいな、と周囲に感謝。逆にマイノリティ運動だと「不幸な方がエラい」なんて倒錯した風潮がありますから、「私みたいな順調な人間には発言資格がないんだ」なんてずっと思わされてきた面もあります。
しかし、それって良くないことですね。苦労した人の声も声、順調な人の声も声。音量のバランスが取れていないと、やはりマイノリティ運動もヘンな方向に行ってしまいます。

私も当事者。私の声も正当なマイノリティの声。

そう思って、私の個人的なことを書いていきます。


違和感って本当に子供の頃からでしたね。
女の子とばっかり遊んでいた、というのはその通りです。まあ、幼時期って偶然的な周囲の状況に左右されがちだから、あまりそれを重視すべきではありませんが、小学校に入ってから、ホント困りましたね。

男の子たちが乱暴、ってのは分ってましたが、まだ小学校低学年なら体力差はそれほどでもないんです。逆に、男の子たちのグループに入れてもらうのに、「女役」させられるんですね。だから「女役」せざるを得ない。
仕方ないんですけども、「自分がどっちか」って思うこと以上に、周囲が女扱いするんです。困るけど、受け入れないことには孤立しちゃうから仕方ない。

中学あたりになると、男の子たちってグンと背も伸びて体格が良くなるじゃないですか。体育の授業だと参加するどころか「危険」になってくるんです。だからホント「参加するフリ」? 怪我したら元も子もありません。勉強できましたから、そこらへんはお目こぼしがありました。誰が見ても体力的に「ついていくのが無理だもん」で通ります。

で逆に女の子たちのグループとは、やたらと仲良くなるんですね。話もあうし、よく遊ぶわけですが、そうすると見えてくるのは「女の子たちが私のことをまったく男扱いしていない」ということです。「女になったらいいのに」とか「スカートはきなさいよ」とか平気で言われましたね。
こっちは反応に困るんですよ。固まっちゃう。「性別を変えたい気持ち」は意識していますから、逆に「まずい…」という気持ちで動けなくなる。親にも私のことが「どうしても男の子に思えない」って仲良しの子が喋ったことが伝わって、親に詰問されてホント困りました。

カルーセル麻紀さんがモロッコから帰ってきたのが小学生の高学年くらいでしたね。インタビューの載った女性誌を見かけて貪るように読みました。「外国では性別を変える手術があるんだ…」って、感動していましたもの。あと中学の時かな、ジャン・モリスの「苦悩」。図書館で借りるとか買うとか始末に困るから、本屋で立ち読みしたのが強い印象に残っています。日本ではないけども、海外に行ったら性転換できる….多分そのうち日本でも?

ですから、大人になったら手術受けるんだ、って子供の頃からそう思ってました。で、思春期になってもどういうわけか、第二次性徴は何か中途半端なくらいしか来ませんし、そもそもカラダが「男らしく」なんて全然ならない。中学の時に同じような体格だった同級生が、同窓会で背も伸びて男っぽくなっていてびっくりしたとかね。私は身体的に「男」からずっと取り残されてきたわけですよ。「男、しろ」と言われても「どうせ、できない」と諦めてますから、性別無関係なあたりで「勝てる」ようにいろいろ工夫していくのですよ。

「性自認」とか言いますが、曖昧な立場に置かれた本人にとっては、「自分がどっちか」なんてホントにタブーな質問なんですよ。「皆さんが思うようでいいよ…」とでも言いたくなるくらい。「男でも女でもいいから、安定して暮らせるなら何でもいいや」ってあたりが本音なんですよね。ですから「事実上、女」って自覚はありましたが、無理しないと「男」できないのに、「女」なら楽ちん。そういう確信もありましたから、「リスクが低い状況になったら、自分が楽になるために性別を変える」機会を、ずっと待っていたわけです。

男の友達は扱いに困ったんじゃないかな。自分のことが「男」って思えないから、「同性愛」ってことにして、露悪的にアピールしたこともありますから、男友達との関係はもっぱらアート関連の趣味を介してくらいのところですね。まあそっちではそれなりの見識を尊重してもらえましたから、何とかなるんですが、趣味関連の男友達に「お前な~いい歳の男が夜中に酒飲んで話すのは女の話に決まってるだろ。お前、女の話が一つも出ないんだもの、おかしいぞ!」と面詰されたことがありましたね。

そんなこともありましたから、「同性愛」で有名だった先輩に少し教えてもらったこともあります。まあコスれば少しは気持ちもいいわけですが、皆さん何でこんなことに血道を上げるの?って不思議に思ってました。そう特には面白いことでもないし、面倒な…という気持ちの方が強かったですね。
それこそジャンル違いのコンサートに紛れ込んで、周囲のノリノリに違和感しかないような、そんな気分でした(苦笑)いやそこでも、「女の子を抱いているのと大差ないや」と言われたこともありますよ。
でもゲイの人が私の男性器に興味を示すのが、これがホント嫌でしたね。単に気持ち悪かったです….

やはり自分の身体、って見たときに、全然「男」じゃないんです。コンプレックスでもありますけども、逆に「男にならなくて、ほっとしている」のも正直な気持ちでした。「女性のカラダなんて、自分とそう大した差もなさそうだ」なんて感じてましたし。ですからか、女性を同性にしか思えなかったです。性指向は男性に向いていて、事実上アセクシュアル、というあたりだと思ってます。

まあですから、仕事の方でも趣味の方でも、「女っぽい」のが不利にならないような環境をいつも選んでました。「男っぽく」なんてできないから、それで負けるのは損でしかありませんよ。それでうまく「自分が勝てる」環境を作ったからですが、40歳からの性別移行もうまく運んだんだと思ってます。